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2018/3貪愛瞋憎之雲霧
年々、月日の経つのが早く感じるのは私だけであろうか。 やはり年齢や経験と共に新鮮味や刺激が薄くなり、時間の感覚が鈍くなり早く感じるのだとも聞いたことがある。気が付けばもうすでに3月を迎え、「春のお彼岸」を迎える季節となってまいりました。

暑いだの寒いだの…今の自分に満足することなく「愚痴」ばかりの日々である。親鸞聖人は『正信偈』において「貪愛瞋憎之雲霧」とあり、人間とは貪欲と瞋恚とが雲霧のごとくの存在し、本当の自分を知ることができないものであると語っておられます。まさに私は、「貪愛」という欲望にふけって満ち足りることを知らず、そして「瞋憎」という自分の思い通りにいかないことに不平不満の自己にも全く気付かないのである。 また「凡夫というは、無明煩悩われらがみにみちみちて、欲もおおく、いかり、はらだち、そねみ、ねたむこころおおく、ひまなくして臨終の一念にいたるまでとどまらず、きえず、たえずと、水火二河のたとえにあらわれたり」(『一念多念文意』)と述べられているように、どこまでも煩悩は一切無くなることがなく、深い迷いの中に迷っている「無明な凡夫」の姿を指摘されています。 水(貪愛)・火(瞋憎)の二河の中に身を置きながら、弥陀・釈迦二尊の呼び声を聞き、その願いを確かめることこそが、「お彼岸」の大切な意義ではなかろうか。 南無阿弥陀佛(輪番)

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