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2019/7「尊き人」
『お釈迦さまは「尊き人」であった。それはお釈迦様のお言葉に出会ったとき、人は自らが探しあぐねていた真実に初めて気づき、頭が自ずとさがり、自分に素直になれたから。
世尊よ、「尊い私」を教えてくださってありがとう。人々はお釈迦様との出会いに感謝するのです。』
この言葉は、機関紙「名古屋御坊四月号」で、九州大谷短期大学名誉学長 大江憲成先生がのべておられるものです。  親鸞聖人の師である法然上人は、九歳で比叡山に登り、十八歳まで天台の学問をことごとくおさめたが、心の底から満たされるものがなかった。そこで諸国を遍歴して先生を訪ねて道を求め、聞こうとした。自分の心の底から納得できる「ひと」と「ことば」を求めながら彷徨いつづけられた。四十三歳まで心の底から納得のいくものに出会えなかった四十三年間でありました。

ついに、「一心に専ら弥陀の名号を念じて、行住坐臥、時節の久近を問わず、念々に捨てざれば、これを正定の業と名づく。彼の仏願に順ずるが故に。」という善導大師の念仏に出会って、目が覚めた。やっと納得がいった。四十三年が無駄ではなく、ようやく実がみのった瞬間であります。「ことば」に合えたということはこれほどのことがあるのです。

 親鸞聖人は二十九歳の時、初めて法然上人に出会うことができたのです。親鸞聖人は法然上人に合うことによって、全人生が決定したのです。のちに歎異抄で「親鸞におきては、ただ念仏して、弥陀にたすけまいらすべしと、よきひとのおおせをこうむって、信ずるほかに別の子細なきなり」と、きっぱりと言い切っておられることがその証です。親鸞聖人は法然上人という「ひと」にであって、全人生が決定した。「ひと」に合えたということはこれほどのことがあるのです。 南無阿弥陀佛(輪番)

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