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2020/8どうしてもわかりたい意欲
「パンダは何を食べるの?」という子どもの質問には、ほとんどの親は知っているので、正しい答えをしてあげられます。「それは笹の葉だよ」。運よく笹の葉の実物があれば見せてあげられますし、なくても図鑑等で確かめることにより学習することができます。
 しかし、「どうしてパンダは笹の葉をたべるの?」と質問されてくると、これには容易に答えられません。これは自然の法則を問うているのですから、親も真剣に「わからないけれど、いっしょに考えようか」と応じてあげるべきでしょう。自然の法則は単純な方法ではわかるものではないことを子どもと共に理解し、どうしてもわかりたい意欲を共に起こしたいものです。

子どもが発する「なぜ?」「どうして?」の言葉は、親は随分たくさん浴びせられてきたし、答えに瀕(ひん)したことも多々あったことでしょう。以前この誌面で紹介しましたノーベル賞受賞者の吉野 彰さんが、さかんにおっしゃったのが「好奇心をもつ」ということでありました。好奇心とは辞書によると、「自分の知らないことや珍しい事、面白い事などに興味を持ち、積極的に知ろうとする姿勢である」と示されています。「どうしてパンダは笹の葉を食べるの?」は、まさにこの好奇心であります。子どもは疑問を投げかけるだけではなく、ジッと何かを見て(観察して)いたり、周りの大人の話に耳をそばだててジッと聞いていたりします。好奇心が旺盛なのでしょう。これはその瞬間、このことがどうしても知りたいのですというサインです。私たち周りにいる大人は、このサインを見逃さずその子が知りたいと思うことを、すぐに答えを出すのではなく、どうしてもわかりたい意欲の手助けをする使命があると思うのです。

人はだれしもすぐに答えを求めようとします。子どもの「なぜ?」は答えを求めるのも大切ですが、答えを求めて追及する過程が大切なのです。その大切さはいくつかあります。

一つには、先にも自然の法則を問うということをいいましたが、自然の法則を子どもと共に知ろうとしていく作業は、科学的態度を身に着けようとすることになります。それは自然を征服する態度ではなくて、自然を畏敬(いけい)する態度であります。つまり自然をおそれ敬う態度なのであります。自然の法則のみごとさの前では無意識にひれ伏してしまう、そういう態度を養うことに通じます。

 もう一つには、「なぜ?」とは言いかえるなら「不思議さ」であります。常に自分を取り巻くさまざまな環境・事物・事象に「不思議さ」を発見する「力」を培う。そして「自分」という存在への豊かな気づきへとつなげ、いずれ自分自身の「不思議さ」に気づいていく「力・姿勢」へと涵養する。(冨岡量秀著「真宗保育をデザインする」の一説より。)

 よくよく考えてみると、世のなかのことがらは「不思議」でいっぱいです。大人になるほど不思議を不思議と感じない日常を多く過ごしていますが、子どもは「不思議」いっぱいなのでしょう。子どもにとって「不思議さの発見」はものを知っていく根源でもありますが、自然を畏敬する態度を養い、自分自身の「不思議さ」に気づくとは、「人とは」とか「生きる」ことへの深い思索をさせるのです。

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