1. トップページ
  2. 教えるに触れる
  3. 過去の言葉
2020/9新型コロナウイルスの猛威
三月以来、新型コロナウイルスの猛威はやむことがなく、その間、日本の社会はウイルスに翻弄されてきました。別院におきましても、数々の法要、研修会、会議がほとんど中止(法要の場合は内勤め)となり、直近ではお盆墓法要と盂蘭盆会までも中止せざるをえませんでした。八月にはいって大阪府内の新型コロナウイルスの感染者が過去最高という事態に鑑み、急遽とった措置でありました。ご門徒の皆様およびいつもお参りいただいている方々に多大のご迷惑をおかけいたしましたことに心からお詫びを申し上げます。

更に、今後は秋の彼岸会そして大切な報恩講を控えております。今後の状況によりどうなることか心配でたまりませんが、その時の状況を踏まえ臨機に対応していきたいと思っておりますのでご理解とご協力をいただきますようよろしくお願いいたします。

 さて、新型コロナウイルスの話になりますが、先日テレビの報道番組でこんなことが放映されていました。ウイルスには変異ということがあるそうで、ウイルスが人から人へ感染を繰り返していくうちに、より強くより感染力を増していくような変異であります。ところが初めて知ったことですが、ウイルスには弱毒化ということがあるそうです。

つまりウイルスの持つ毒性を自らが弱体化していくようなウイルスの変異の仕方だそうです。ウイルスが人の体内に侵入して増殖していくことは一つにかかってウイルスの子孫を残していく営みで、決して人間の体をむしばみ重症化していくことが目的ではなく、それは結果だということです。その中にあって弱毒化というのは一体どういうことかと言いますと、人の体内に入ったウイルスは、その人を死なせてしまうと自分たちも死んでしまうわけであります。だから人を死なせない程度に自分の毒を適度に弱めていくことがウイルス弱毒化ということだそうです。確かに生物(新型コロナウイルスが生物の仲間になるのかどうかは知りませんが)なるものは、ことごとく子孫を残していくことのために生きているかのように見えます。コロナウイルスの場合はこれと一緒なのでしょうか、違うのでしょうか。

 ここでものすごく気になることがあります。コロナウイルスの人を死なせたら自分も死んでしまうという理由で、自らを弱毒化させるのは一体誰の意志なのか。誰の知恵なのか。誰がそんな見事なコントロールをするのでしょうか。報道番組ではそこまではふれられませんでした。あまり深入りしたくはないのですが、これは進化ということを含めた大自然の摂理ではないかと思います。そうなると、少しばかりコロナウイルスに親近観がわいてくるような気分になるのは不謹慎でしょうか。コロナウイルスと同じように、人間も間違いなくこの大自然の摂理の中に生かされ、大自然の摂理にお育てをいただいているからです。

「Withコロナ」と言われている通り、これからは何年もの間コロナウイルスと共存し、お付き合いをしていかなくてはならないのだと専門家はおっしゃっています。 ただ、他の生物は大自然の摂理をそのまま文句も言わず受け入れていますが、人間だけが自然をコントロールしたり自然に逆らったりしています。

ごく近い将来、研究者は、きっと新型コロナウイルスの治療薬として、ウイルスを殺す薬、ウイルスをコントロールする薬を開発してくださるものと思います。薬でウイルスを殺すのと、ウイルスが人を死なせない程度に弱毒化するのと比較してはいけないのでしょうか。なぜ、人間は他の殺を容認し、自らが殺さられるのを極端に拒むのか。その答えはなかなか見つかりません。もしそこにすこぶる都合よく生きようとする人間の勝手さに痛みを感ずるとするならば、それは間違いなく人間の理知を超えたところからの呼びかけであると思います。

このページのトップへ