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2015/3共に生きる
「ついにやった」。身勝手な欲望の完結の充実感からか、事件当日名古屋大学の19歳の女子学生はツイッターに書き記した。 これは自宅マンションで77歳の女性を襲った狂気的な殺害事件であり、現代の心の闇を感じずにはおれませんでした。  調べによると、過去の犯罪者に異常なほど関心を示し、また「殺してみたい人は沢山いる」などと告白し、「死」に対し強い興味を抱いていたようである。思い返せば、昨年7月長崎県佐世保市においても、女子高生殺害事件が発生したばかりで、未成年の犯罪はここ数年絶えることなく残念でならない。  この現代の心の闇を考えるならば、人間関係の希薄さが故に、バーチャル(擬似的)な世界に陶酔し、現実世界との分別がつかずに感覚が麻痺していることが原因となっているのではなかろうか。それは自分の価値観を絶対化し、現実から目を背け、痛みのない世界に自分の居場所を見出しているからこそ、さらに闇は深まっていくのである。  わが身を生きるということは、苦悩を抱え、痛みを知ることが、本当に人間として生きることであろう。その「生」には思い通りにいかない現実を目の当たりにし、つまずき傷つき初めて「共に生きる」という心が目覚めるのである。 そしてそこに初めて人が、本当に人間になるための「光」が差しみ込むのであろう。南無阿弥陀佛(輪番)

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