- トップページ
- >
- 教えるに触れる
- >
- 過去の言葉
- 2017/10「第一歩」
-
今年の5月7日、本山・真宗本廟(東本願寺)にて9歳の孫が得度をいたしました。剃髪した姿が初々しく、初めて法衣をまとい、僧侶として新しく歩み出す凛々しさに、こちらが緊張させられました。そこには、今の私自身を当たり前のように思い、僧侶としての大切な「第一歩」を忘れてしまっている私自身を恥ずかしく思うのであった。
『蓮如上人御一代記聞書』に、「ひとつことを聞きて、いつもめづらしく初めたるやうに、信のうへにはあるべきなり。ただ珍しきことをききたく思ふなり。ひとつことをいくたび聴聞申すとも、めづらしく初めたるやうにあるべきなり。ひとつのことをいくたび聴聞申すとも、めずらしく初めたるようにあるべきなり」と教えてくださっています。
また「聴聞の心得」として、古くから真宗が大切にしてきたお伝えがあります。
一、この度のこのご縁は、初事と思うべし。一、この度のこのご縁は、我一人の為と思うべし。
一、この度のこのご縁は、今生最後と思うべし。
以上の心得とは逆さまに生きているこの私が存在する。またかと…新鮮味がなく、他人ごとだと…受け止め、そのうちそのうち…と生きている。どこまでも傍観者の生き方であり、決して「我事」とはなっていない生き方となっている。
孫の初々しい「得度式」の姿を通して、私自身の僧侶としての生き方が改めて問われてきました。常に何事も「初事」「我一人」「今生最後」のご縁であることを深く刻み、今一度「原点」に立ち返らなければと気づかされたのである。
南無阿弥陀佛(輪番)
Copyright© 茨木別院 Co.,Ltd. All Rights Reserved.