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2017/6寺院の在り方
昨今、「寺院の在り方」に危機感をもつようになり、この問題は深刻になりつつあるように思うのである。なぜなら、私の自坊においても、ご門徒や特に年配の方のお葬儀を執行すれば、月忌参りが一軒減ってしまうのが現状である。
また毎月のお参りが、法事や祥月命日、お盆などのお参りだけになり、ご門徒との関係性が「希薄」になってきているように感じるのである。また核家族化・高齢化に伴い、お内仏をなくしたり、お墓じまいをすることが多くなり「法義相続」の難しさに直面しているのである。
30年後には、今ある寺院が4割減ってしまうとの見解もあるようである。確かに今後の寺院は、ご門徒の多い寺院と少ない寺院との二極化されていく面もある。しかし経済面だけでは済まされない複雑な問題がはらんでいるのだが、はたして、どこまでも仏事を通して、仏法に触れ、仏法に出遇う「縁」が育まれるのであろうか。ただ単に儀式執行だけを営むのであれば、仏教や儀式自体が形骸化し、全く意味のないものになってしまう。

ご門徒との一場面一場面を真摯に向き合い、仏法を伝えるという「使命」を常に大切に、どこまでも関り続けていかなければならない。決して仏事を簡略化・仕事化してはならない。今こそ、親鸞聖人の御一流を大事に「寺院の在り方」を熟慮し、真宗に生きる大谷派の僧侶として確かな歩みを深めていかなければと考えるのである。 南無阿弥陀佛(輪番)

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