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2016/3縁起の法
今年の年始の天候は、温かく予報通りの暖冬となった。一転、二月に入り「最強寒波」が襲来し、奄美大島では115年ぶりに雪が降るなど、様々な場所で影響を与えた。本当にわが心も天候もままならず、一般的に「想定外」のことばかりが起こるものである。  仏法において、すべては縁によって起こり生ずるという、「縁起の法」によって生かされる私ということが教えられる。その縁には、決して良いも悪いもなく、私の思いやはからいを超えて賜ってくる事実である。そういう意味からすれば、すべてが人間の思慮を超えた「想定外」の中を生きているのである。  一般的に「会う」ということは、日時そして場所を約束して確かに「会う」ことを意味する。 今や携帯電話の普及によって、便利になっているように感じるが、日常生活において様々な執着や弊害が生じているように感じるのである。  浄土真宗では、「出遇う」という言葉を大切にしています。この「遇う」とは、この私がこの時この場で、全く予期しない人や出来事との「出遇い」、つまり私の思いやはからいを超えた深い「出遇い」を意味する。 この出遇いこそが、私の人生にとって大きな意義を持つのであろう。 人との出遇いの連続こそが、人間の一生であり、この出遇いによって今の私自身を成り立たせているということを深く味わって生きていきたいと思うのである。南無阿弥陀佛(輪番)

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