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- 2017/12縁起の法
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今年の9月22日付けの朝日新聞の「折々のことば」の欄に、東本願寺の宗祖親鸞聖人750回御遠忌のテーマである「今、いのちがあなたを生きている」が紹介されていました。
そこには、「私が自らのいのちを生きるのではなく、いのちが私を生きていると考えるよう呼びかけた。(中略)共通するのは、身体を「私の所有物」という考えを斥(しりぞ)けていること。」と述べられてあった。
一見、分かるようで分からない言葉である。常に自己中心な生き方の私自身は、「私の人生」「私のいのち」と思い込んでいる。私が主となり、賜った「いのち」さえも我が所有物として考えているのが、この私である。
しかし私たちのあらゆる存在は、「縁起の法」によって成り立ち、お互いに関係し合っているのである。つまり、「私」と常に中心に考えている「私」自身は、すべて因(原因)・縁(条件)・果(結果)の道理の中に存在し、他との関係性によって成り立っているのである。だから「私(我)」というものは存在しないのです。
「生かし生かされている私」というものは、突き詰めれば、深い「いのち」の中に「私」が生かされていることに気付かされるのでしょう。だからこそどこまでもこの「いのち」は「私の所有物」ではなく、「いのち」によって生かされている「いのち」であることを教えられるのである。「今、いのちがあなたを生きている」このテーマの問いかけを改めて考え直した記事であった。
南無阿弥陀佛(輪番)
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