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2017/4残る桜・散る桜
4月を迎え、桜が咲き誇り、そして舞い散る。その光景にはいのちの輝きを感じ、そしてはかなさを覚えるのである。「散る桜 残る桜も 散る桜」という言葉が教えてくれるように、この私も必ず死を迎えていかなければならない「諸行無常の身」を生きていることを深く教えられるのである。

『仏説無量寿経』には「見老病死 悟世非常(老・病・死を見て世の非常を悟る)」とあります。お釈迦さまは、老病死の問題を決して他人事とはせず、私とは切り離すことができない自己の問題として深く受け止められたのである。そして老病死だけではなく生の「四苦」を人間の深い苦悩として捉え、その生死の苦悩から解放される道を明らかに悟られたのです。

また清沢満之氏は「生のみが我等にあらず、死もまた我等なり。我等は生死を並有するものなり」と述べられております。自己の死を深く見つめ考えることを通して、初めて生ということが明らかにされ、真に生きる道を歩み始めることができる。そしてこれこそが人間にとって根本的な問題であると教えられるのである。

目の前の出来事に一喜一憂し「残る桜」の私にとって、「散る桜」に真の生きる道を教えられるのである。 南無阿弥陀佛(輪番)

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