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2016/4仏説無量寿経
元プロ野球選手が覚せい剤所持の疑いで逮捕された。高校時代からの親友であった桑田真澄氏は、彼に対して常に忠告を続け、友として期待と痛みをもって接していたという。
そしてこの最後の一言が、私にとって非常に印象に残っています。「今言えるのは、野球のピンチに代打とリリーフはいるけど、自分の人生に代打とリリーフはいない。現役時代に数々のホームランを打ってきた。自分の人生でもきれいな放物線を、逆転満塁ホームランを打ってほしい」。ここに私たち一人ひとりが、自分の人生の責任者であることを伝えたかったのではないかと考えます。
『仏説無量寿経』に、「身自当之 無有代者(身、自らこれを当くるに、代わる者あることなし)という言葉があり、人生の苦悩に出遇ったとしても、誰も代わってくれず、自らこの苦悩を引き受けて生きなければいけないということを教えてくださっています。
そして「これからが これまでを決める」(藤代聰麿氏)の言葉が私の中で響くのである。確かに人生とは、決して過去の過ちが消えるわけでもなく、やり直すことはできないが、今までの自分自身の在り方を見つめ直し、歩んでいくことで、今これからをどのように生きていくかが大きく問われているのである。
その意味でも、これまで(過去)が、これから(未来)を決めるのではない。『これから』が『これまで』を決めるという深い視点は、現代に生きる私たちに大切な「方向性」を示唆していると思うのである。南無阿弥陀佛(輪番)

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