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2016/1新年
新年、あけましておめでとうございます。崇敬ご寺院様並びにご門徒の皆様方には、旧年中は何かとご高配を賜り、厚く御礼申し上げます。本年も何卒、よろしくお願い申し上げます。
昨年を振り返って見ると、まさしく「五濁悪世」の言葉のごとく、あらゆる分野において、混迷の世相を現出している。そこにお寺の存在意義が深く問われているような気がする。改めて、仏法聴聞の生活を大事にしていかなければならないと思うのである。

昨年の研修旅行で参拝したお寺の掛軸に「唯聴(・)弥陀本願海」とあった。一瞬戸惑ったが、もう一度じっくり味わってみると、そこには「聴聞」ということを生活の中心に据えられているご住職の姿勢に感銘を受けました。 それに関連して、『仏説無量寿経』下巻の「東方偈」に「憍慢弊懈怠 難以信此法」(憍慢と弊と懈怠とは、もってこの法を信じ難し)とあり、小林博聞先生は「この三つに共通しているのは、自分で自分を許す心です。
言い換えれば自分を省み、自分を問うことをしない心です」と教えてくださっている。 せっかく人間として生まれ、仏法を聞ける身を受けながら、先の三つ(憍慢・弊・懈怠)の在り方が大きな障りとなっている。自己満足の世界の閉じこもることなく、自分を問い返す心を大切に、心新たに仏法聴聞の歩みを続けていきたく存じます。南無阿弥陀佛(輪番)

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