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2015/6生きる意義
本年3月11日の「東日本大震災追悼式」にて、菅原彩加さんによる宮城県遺族代表の言葉がありました。「震災で失った物はもう戻ってくることはありません。(中略)前向きに頑張って生きていくことこそが、亡くなった家族への『恩返し』だと思い、(中略)しっかり前を向いて生きていきたいと思います。」 この言葉から、「生きる意義」を見出すことが、亡くなった方々から賜る「恩」なのだと私は受け止めました。「恩」とは、「因」を知る「心」と書き、つまり「私が私という自己になった背景(原因)を知る」ことに他ならない。 しかし、私たちの自我というものはどこまでも根深く、身勝手な自己関心から離れることが出来ない存在である。ますます苦悩は深まるばかりで、無明の闇にさえも気づかない生き方をしている。だからこそ「教え」に照らされていても、うなづくことも出来ないわが身である。  『歎異抄』には「身の罪業のふかきほどをもしらず、如来の御恩のたかきほどをもしらずしてまよえる」と、親鸞聖人は御述懐されている。罪業深重のわが身の自覚もないこの私一人に、阿弥陀如来の「摂取不捨の利益」である無条件の救済がはたらいているのである。そこには、この迷いの身のまま安んじていける道を賜っていることが、如来大悲から賜る深い深い「御恩」であろう。南無阿弥陀佛(輪番)

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