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- 2015/7ご縁
- 「今年はようお照らしがありまして」と石川県のご門徒の言葉が、朝日新聞の「折々のことば」に紹介されていました。この背景には、お寺に大きな白菜が届けられ、僧侶が「みごとな白菜ですね」と言いました。すると、「お日さまがよく照ってくださったのでこんなになりました」と、自分の努力や工夫については一切口にせず、自分はほんのささやかなお手伝いをしただけと返事をされたのでした。 この言葉から、私たち一人ひとりの「いのち」は、様々な「ご縁」によって生かされ生きている事実に気づかされるのです。時として、自分の努力を手柄にし、そこに安住してしまう人間の根性が見え隠れします。またどこまでも「ご縁」の中に生きる身であるのに、私の都合によって、「ご縁」に良し悪しを決める我が身があります。 この無量無数の「ご縁」を「他力」と呼び、それを人は「おかげさま」という言葉を使って表現しているのであろう。だからこそ、ご門徒が「お照らし」というように、「お」という言葉をつけることによって、お敬いする心が育まれてきたものと考えます。つまり「他力」の世界に目覚めることによって、初めて「自己」の背景に出遇わせていただくのであろう。 ここに「他力と言うは、如来の本願力なり」(『教行信証』)と親鸞聖人に教えられます。すべてを引き受ける阿弥陀如来の智慧と慈悲のはたらきによって「生きる力」を賜るのが、「他力」ということではないかと受け止めるのである。南無阿弥陀佛(輪番)
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