1. トップページ
  2. 教えるに触れる
  3. 過去の言葉
2015/8宗教的意義
京都や奈良の全国各地の寺社仏閣に油のような液体がまかれるという事件が問題となった。「お清め」と称し、「日本の寺社を油で清め、日本人の心を古い習慣から解放する」と身勝手な理論のもと多数の文化財が被害を受けた。結果、キリスト系宗教団体幹部が容疑に浮上し、犯行の動機が明らかにされていこうとしている。 この事件の背景の一端を考えてみれば、一神教を絶対化し正義とするならば、その信教に沿わない者はすべて「排除」され、究極には争いまで避けられない状況となる。昨今の世界の情勢をみれば、紛争の原因は宗教的対立が深く関係しており、一般市民が巻き込まれ、悲しみが絶えることはない。このように自己の思いを絶対化するならば、相反するものはすべて敵となり、「排除」の標的と成りかねない。 しかし仏教とは、意に沿わない者を「排除」する教えではなく、すべての存在を受け入れ、認め合っていく「慈悲」の精神を宗としている。そして私を形成しているすべての「いのち」に対し感謝し、平等なる世界を見いだす心を教えているのだと考える。つまり仏教とは、人間存在の意義を与え、すべて「いのち」が安んじて生きていける場を賜り、そのことに目覚めていくことだと思う。ここに目覚めの宗教たる所以の宗教的意義があるのではないだろうか。南無阿弥陀佛(輪番)

このページのトップへ