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2015/10流転
今夏は、猛暑を通り越して酷暑であった。年々、気候までが異常をきたしている。
これは、自然というものへの畏敬の念を忘れている私どもに警鐘を鳴らしているのではないかと思われる。
次の詩は、当別院の伝道掲示板に使わせてもらったものである。

母が墓に  生きて幸せ  なりしかと  問ひしが  今日は墓に問はるる
(蒔田さくら子)

多くの人は、墓参りを亡き人の冥福を祈り、先祖のための追善供養のことと思っている。
そうではなく、亡き人・母が「諸仏」となって、私に思いを一心にかけてくださり、
「お前こそそれで本当に幸せか、お浄土(彼岸)に目覚めてください」と願っておられる。 私たちの日々の生活は、自己中心的になり、煩悩に振りまわされ、自己を見失いがちである。それが迷いであり、「流転」しているといえよう。
この迷いの世界(此岸)にある我々を、お念仏となって導き、今日ただ今の生活の確かな依り処となってくださっている。 真宗門徒にとって、お盆法要・彼岸会は、まさしく亡き人のおかげで、本願のみ教え(お念仏)に遇えたことを慶ぶ、仏徳讃嘆の仏事であるといえよう。南無阿弥陀佛(輪番)

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