1. トップページ
  2. 教えるに触れる
  3. 過去の言葉
2019/4「子育ち」の原理原則 と 「子育て」の在り方
 「子育ち」とは、子ども自らが育つということを言おうとしています。もう少し言い換えるなら、子どもは人という動物として、ちゃんと育っていけるだけの十分なものを持って生まれてきているとでも言いましょうか、それが「子育ち」つまり子ども自らが育つ内なる力としてすでに備わっているのです。

これを私は「子育ち」の原理原則と言っています。人間以外の動物と並べて言いますと叱られるかもしれませんが、動物を代表させて例えばライオンについて言いましょう。ライオンは子どものために狩りをして食べ物を与えます。人の親が食料を買ってきて子どもに食べさせるのと同じです。ライオンは子どもを外敵の危険にさらされないように守ります。

人の親が家をととのえ、外からの危険性や健康被害から子どもを守るのと同じです。ライオンはあの厳しい自然環境の中で子どもに餌を準備することと、子どもを危険から守ること以外は、あの広々とした草原で子どものライオンが自由に走り回り、ジャレあい、何かを見つけて没頭することをそのまま許しているのです。その何の制約もない子どものライオンの過ごし方(「遊び」)が「子育ち」の原理原則とピッタしあっているのです。これこそが子どもが自ら育つ筋道であり「子育ち」の法則とでも言えるものです。

つまり、人間も動物の一種ですから、ライオンと同じように、生まれながらにして自らが育つだけの十分な内なる力を備えているのです。ただ問題は、あの広々とした草原なるものをどのようにして提供できるか。又、制約のない子どもの遊びというものをどのように保障できるかということであります。広々とした草原とは象徴的な言い回しをしているのでありまして、子どもが自由に遊ぶ環境ということでしょう。子どもが嬉々として遊び、子どもの興味や関心を大きく刺激し、それに没頭して遊べるような環境を提供するということかと思います。

次に制約のない遊びを保障することの問題ですが、子どもが大人になっていくプロセスの中で、制約のない社会を生きていくことは絶対できないことです。自分の思い通りにならない、または社会のルールを身につけるための厳しい制約はどうしても必要です。問題は、子どもの今の時期に必要なことは、制約を与えることが先に来るのでなくて、もう少し先になって必要とされる制約をしっかりと受け止めて耐えて忍ぶことの力を今養っておくことが最も大切なことかと思います。

その耐え忍ぶ力を十分身に着けるためには、子どもの頃に没頭するほどに遊んだことで、子どもの心が開き、開放されることによって、それが生き生きと生きる力となって、耐え忍ぶことができるようになるのです。耐え忍ぶ力が備わるのは、子どもに制約を加え辛いことを与えて我慢させ、耐え忍ばせることで身につくのではなく、嬉々として没頭して遊ぶことで、子どもの心が開放されることによって養われ身につくものであります。

だからそういう遊びをしようとしている、もしくはしている子どもにいらぬ制約を加えることが最悪の「子育て」なのです。単なる次元の低い遊びについて言っているのではなく、その遊びに没頭している時だけは、絶対に制約しないことが最良の「子育て」なのであります。加えて子どもの興味・関心を刺激して、遊びが真にいい遊びになるように導いてくださるならそれこそ最高の「子育て」と言えると思います。 南無阿弥陀佛(輪番)

このページのトップへ