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2020/2「意」の保育
今から30年も前のことになりますが、幼児教育・保育の研究者であります樋口正春先生のドイツ幼児教育研修旅行に参加する機会に恵まれました。10日間の日程でドイツ国内の幼児教育施設をいくつか訪問して、木で作られたオモチャをふんだんに取り入れた施設や、大自然の中でのびのびと保育されている施設なども訪問してきました。その中でシュタイナー教育を根幹とした自然および自然物を取り込んだ幼稚園に訪問した時のことです。ここで学んだことが、その後の私の保育観や保育人生を決定づけたことに出会いました。このシュタイナー教育で最も大切にしているのは, 戦前まで日本の教育の根幹となっていました、知・情・意の「意」にあたる部分です。

知 情 意 について少し解説しますと、
「知」とは「知性」のことで、知識や思考といった、物を活用すること。頭を使うことです。
「情」とは「感情」のことで、喜びや悲しみや怒りなどのこと。心で感じるということです。
「意」とは「意志」のことで、意欲や精神力のこと。決断するということです。

日本の教育は長い間この「知・情・意」を教育の根幹において、この三つの要素がバランスよく習得されて、人間というものを完成していくことが望まれ、日本の教育が進められてきたのです。戦後欧米の教育思想や教育方法が全面的に取り込まれて「知・情・意」の教育は消え去っていきました。  シュタイナー教育はこの「意」を最も大切なものとして幼稚園の教育の理念に置いていたのです。シュタイナー幼稚園で学んだことは、子どもたちがこれから長い人生を生きていくのに、今この時期に「意」を徹底的に身に着けておいてあげるのが幼稚園の使命であるということも学ばせていただきました。その理念に深く共感させられて、私がやっていくこれからの保育は正にこのことでないといけないとまで考えるようになり、それをひっさげて日本に帰ってきたのでありました。

 その後、すぐに実践できたわけでもありません。悶々とする何年間がありました。子どもの中にある「意」とは何か。子どもと戯れながら、じっと子どもの「意」を見つめるというか、探し当てることに没頭していました。そして「意」の中身とは何か。そしてその「意」をどうして養うか(保育方法)をおおよそ探し当てることができた時点で、その保育のことを私自身「意の保育」(私が勝手に決めたことばです)と命名できるようになったのです。

 今朝のニュースにこんなことが出ていました。「七日間の戦争」というアニメの原作者である 宗田 理 氏がおっしゃった言葉に「最近の子どもは消極的すぎる」と。これから長い人生を生きていかなければならない子どもたちが、こんなことではダメとでもおっしゃりたいのだと受け止めました。

私も子どもたちにはもっと積極的な生き方をしてほしいと思います。しかし、見誤ってはいけないのは、積極性というのは内面に育つものであります。うちの子は元気に育っているので大丈夫とおっしゃる方もあるでしょうが、元気だからと言って積極性があるとは言えません。 その内面に育てなければならないもの等々を含めて、先に申しました「意の保育」の中身について次号でお話ししたいと思います。 南無阿弥陀佛(輪番)

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