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2022/7自由保育と一斉保育(前号よりつづき)
前号では「自由保育」と「一斉保育」について述べました。この二つは対立するものではなくて保育形態の違いであることも確認いたしました。しかし、対立はしないもののその根本というか根底にあるものは「幼児が真剣に求めているのは自由である」ということであって、いずれの保育形態を採用しても、この命題を絶対に外さないということが大切です。

「こどもが自由を求めている」ことの一つの例を挙げてみます。私は道を歩いている時、時々親子連れの人に出会います。自分の時間にゆとりがある限り、その姿をじっと見ていることがよくあります。こどものしぐさを見ていると、とってもかわいいからであります。ところがこんなことに出くわすことがあります。可愛いい子どもが母親と手をつないで歩いています。家に帰る途中なのか、スーパーにでも行く途中なのか。子どもは目標に向かって歩いているお母さんと、ひとときも一緒に歩いてはいません。必ずお母さんから手を放し何か興味のある方へ走ります。

駐車している車に手を触れてみたり、歩道と車道を仕切っている低いブロックに乗ってみたり、水たまりがあると必ずこどもは水たまりに入りたがります。お母さんにしてみれば目標に向かって一本の道を歩いていこうとします。しかし子どもはそれが不自由なのですね。ここに現れているのがつまり「こどもは自由を求めている」ということであります。この時、お母さんに時間のゆとりがあるかないかで対応は変わってくると思いますが、そのみちくさなるものを危険に注意しながら許しているお母さんと、手をはなさずまっすぐ目的に向かって、この道をしっかりと歩いてついてきなさいと言わんばかりのお母さんとに分かれます。

保育の形態から見ると、前者は自由保育的で後者は一斉保育(又は設定保育とも言います)的であります。つまり両方とも行き着く先は一緒なんだけれども、このお母さんが「こどもが真剣に求めているのは自由である」ことを、どれだけ受け入れてあげているかの違いだと思います。

いばらき大谷学園の保育形態は一斉保育(設定保育)の部類です。特に三歳以上のクラスでは、制作活動にしても音楽活動にしてもそうであります。何度も言いますが、それが悪いわけではありません。当園は長い間、幼稚園としての歴史をもっていまして、その流れの中で選んでいる保育形態なのですから。ただ、最も大切なことは、その活動の中で「子どもが真剣に求めているのは自由である」という保育の原理原則を、保育者がしっかりと踏まえて保育をしているかが問われるのだと思います。

たとえ活動そのものが保育者によって設定されたものであっても、その枠内で活動するこどもが、いかに主体的で自由意志をもって活動に参加しているかをしっかり見極めながら保育が進められていくことが重要であります。

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