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2019/11「世のなか安穏なれ 仏法ひろまれ」
またしても日本は大災害にみまわれました。ごく最近では昨年の台風二十一号、今年の台風九号。そして今回の台風十九号は暴風よりも豪雨被害が甚大でありました。別院のある茨木も昨年の二十一号台風で大きな被害を被った地域です。  今回の大水害に際し、誠に悲惨な状況をニュース等で見聞きするにつけ、一体自分に何ができるのかと苦悶します。何日も経っている今でも、まだ被災された方々のニュースが入ってきます。それほどに甚大で被害の大きさが尋常ではなかったことを物語っていると思います。

ところで皆さんはこの災害をどうお受け止めになりましたか?中にはボランティアとして、身を投げ出して現地にはせ参じた方がいらっしゃいます。救援物資を大量に送られた方もいらっしゃいます。災害救援金に協力してくださった方もいらっしゃいます。しかしその他大半の我々は結果的には何もしないでいます。中には真摯に気の毒に思い悲しんだ方もおられるでしょう。それも残念ながら結果的には何もしなかった方々です。

「世のなか 安穏なれ」と願うけれども、これほどに「安穏」でない状況はそんなにたくさん例を見るわけではありません。私たちの願いは全く届いていないのです。自然災害とはいえ誠に自分が悲しくてしかたありません。 「世のなか安穏なれ 仏法広まれ」の聖句は、親鸞聖人が関東のお弟子さんに送られたお手紙(御消息集)の中で語られている一説です。親鸞聖人御消息集(広本)には全十八通が収められていますが、そのうちの七通目のものです。 悲惨な災害に対して、何もできない私は一体何もしなくていいのだろうか。

けれども「世のなか安穏なれ 仏法ひろまれ」の願いだけは最低限持ち続けなくてはならないでしょう。しかしこれも他人ごとのように受け止めていては願いになりません。結果的に何もしなかったことと、他人ごとにすることとは同罪です。

親鸞聖人の第七通のお手紙では「念仏もうす」という意味の文言が十一回ほど出てまいります。前後を拾い出しますと、『仏の御恩をおぼしめさんに、御報恩のために、御念仏、こころにいれてもうして、世のなか安穏なれ 仏法ひろまれと、おぼしめすべしとぞおぼえそうろう』( 訳文= 仏さまの御恩を思って、ご報尽のために、御念仏を心の底から称えて、世のなかよ安かれ、仏法よ広まれと念ずるのがよいでしょう。)

つまり、「世のなか安穏なれ」と願い、「仏法ひろまれ」と願うことは、ひとくくりのフレーズであって、私が念仏申すことをさしおいては、すべて他人ごとになってしまうということでしょう。聞法を重ね念仏申し信心をいただくこと以外にこの大災害とともに歩む道はないのだとお示しをいただきました。 南無阿弥陀佛(輪番)

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