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2019/8「主体性」と「意欲」
主体性と意欲というものをどのようにして養っていけばいいのでしょうか。

主体性とは、自分の意志・判断によって、自ら責任をもって行動する態度であります。
最近、子どもに関して、なげかわしく思うことが沢山あります。それは最近の子どもには主体性というものが随分と欠けているということです。主体性とは、責任をもって自分みずからすすんで事に取り組もうとすることでしょう。保護者のみなさんは、今どきの子どもたちを見て、だれと比較して主体性がないのかということがあまりわからないのではないかと思います。  無理もないなあと思うことがあります。

戦後、日本の教育は欧米の教育システムを取り入れて、それまで何百年と続いてきた日本の教育がガラリと変わったのでした。国民の中には戸惑いもあったようでしたが、ともかくそれにしたがっていったのです。しかしある時期になって、目指したものとは少し違った方向にブレたのではないかと、私自身は疑問を持ったことでした。

それは昭和40年代、今から50年ほど前以降からになりますか、時あたかも高度経済成長時代に入り、続いて学歴社会という得体の知れない時期に突入してからは、それと呼応するかのように多くの国民の子育て観に大きな変化が現れました。「子どもは少なく生み、賢く育てる」というものでした。この風潮はずっと現在までもつづいていまして、社会問題になっています少子化の大きな原因でもあります。現在の保護者の皆様方は年齢的にいってこのころの事情はあまり経験されなかったことかと思いますが、「賢く育てる」は決して間違ったことではないと思います。

しかしそのことが子どもに、過度に干渉(過干渉)し、過度に保護(過保護)する風潮になってしまいました。このことが残念ながら子どもに主体性を無くさせる大きな原因になってしまいました。過干渉・過保護が何であるか、つまり自分が子どもに干渉しすぎているとか、保護しすぎているとはなかなか見えてこないのではないかと思います。しかし今の子どもたちが主体性を持てていないことだけは少々感じてもらっているのではないかと想像します。

俗にいう「指示待ち人間」というフレーズがはやり言葉になっています。主体性が無いということを的確に言い表した言葉です。これでは何とも具合の悪いことであります。そうではなくて、この子どもたちがこれから何十年と生きていく厳しい人生を果敢に、しかも自分のやりたいことを自ら選んで生きていくには、どうしてもこの主体性が身についていなければなりません。

それを身につけるのはこの只今幼児期が最的確な時期なのであります。だって、すぐ先の小学校へ進学すれば、いやおうなしに沢山の課題を背負わされ、好きなことばかりをしているわけにはいきません。だからこそ今の幼児期が最も大切でチャンスなのです。そういう背負わねばならない課題を自分の好きなこととして受け入れていくには、物事をおもしろがって取り込んでいく心根がどうしても必要になってくるのです。

それが主体性の根っこなのです。さて、その主体性を支えるものが、何事にも前向きに取り組めることのできる「意欲」というものです。 ならば意欲はどうして養われるのでしょうか。(次号につづく) 南無阿弥陀佛(輪番)

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