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2020/6「意」の保育
現在子育て中の親御さんたちは、ほとんど多くがいわゆる「指示待ち人間」時代に生まれ育たれた方ですので無理もないかもしれませんが、そうでなかった時代の子どもたちと比較することができないという不幸を背負っておられると思えるのですがいかがですか。つまり今の子どもの育ちのおかしさ(「意欲」に欠ける、「主体性」に欠ける、「積極性」に欠ける、「やる気」に欠ける)が見えないという不幸を背負っておられるということであります。

「意」は目にも見えず、姿かたちのないものです。なのに前号では、なぜ「意」が構造として実体的に存在するかのような表現ができたのかと疑問を持たれる向きもあろうかと思います。

それは私が長年子どもの育つ様子をじっくりと観察し、子どもが変化していく(育っていく)ことを見てきたからであります。「育ち」とは知識や技能が身についたことではなくて、主体性・意欲・やる気・積極性が育つことであります。なぜなら今後長い人生の中でこの「意」がないと学力も身につかず、生きていく意欲そのものも危うくなるからです。皆さんが最も気にしておられる学力が向上するということも、この「意」なるものが根底をなすのであります。

 少し実例を紹介しましよう。ものづくりというものは、それに興味をいだいたものにとってはすこぶるおもしろいものです。ものづくりは保育現場では作品製作と言います。例えば遠足に行った時の印象を製作にしようと保育者が意図したとしましょう。「今日は動物園に居た動物を作ってみましょう」と導入するまでは許せますが、「動物園にいたゾウをみんなで作りましょう」と言った瞬間に、もう制約をはめたことになります。そうではなくて、いろんな材料(例えば、木切れ・木の葉・粘土・絵具・ペットボトル・キャップなどの小物・針金・ボンド・りぼん等々、できる限りたくさんのもの)を準備して、「これで好きな動物を作ってみましょう」といえば、そのふんだんにある材料を見て、子どもたちはまずワクワクするでしょう。作ろうとする動物にワクワクするのでなくて、目の前にあるいろんなもの(材料)に強い興味を抱くのです。その材料は、保育者が作るものを意識して意図的に準備をするのでなく、子どもにとっておもしろいものほどいいのです。先ず模索が始まります。つぎに試行錯誤が始まります。そして製作にとりかかるといろんな葛藤や創意工夫がなされることになります。見る見るうちに熱中してしまいます。もうそこまでくると後はほっておいても製作はどんどん進んで、のめり込んでいきます。何故そうなるのでしょう?それは自分で選んだ材料で自分の好きな動物が作れるからです。こどもの本領(本来の持ち物)が発揮できるからです。子どもたちに自由を保障し好きなことをさせてあげるということはこういうことであると思います。このような日常の積み重ねが、意欲・やる気を徐々に養い主体性・積極性へと醸成されていくのです。これは自由保育と言われるもののほんの一端です。このプロセスを私は「子どもが育っていく」と言います。つまり「育ち」ということであります。

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