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2021/3オリンピック・パラリンピック
最近、大きな話題となっていますのが、オリンピック・パラリンピックの組織委員会、森 喜朗会長の女性蔑視ともいえる発言であります。
この発言に関して、ほとんどの報道機関がニュースとして取り上げ、報道番組では何回もこの問題に迫る内容を放送していました。すべての放送を見たわけではありませんが、その中のある番組ではコメンテーターと言われる方々がすべて、森会長の差別発言を強く非難されていました。
ほとんどのメンバーは、森さんは会長を辞任すべきだという意見でした。私もそうだと思います。結果的には辞任をされました。

しかし、これだけの言わば有名なコメンテーターの方々が声をそろえて「会長辞めろ」の大合唱をされますと、おそらく世論というものは大なり小なり、いわゆる先入観というものを抱かせられるのだなあと感じました。
私たちもこのことには十分注意をしておくことが大切だと思います。こと差別の問題が起こるのは、人間の根底にある差別意識と、いわゆる先入観であります。

最近メディアが世論を形成するというか、問題を更に拡散するのではないかと心配されているむきもあるようです。私たちもメディアから先入観を植え付けられてはいないでしょうか。先に紹介しました報道番組の中で少し驚いたことがありました。
吉本興業を辞めた西野亮廣さんと田村 淳さんの対談がありました。いろいろ面白い内容を披露しておられましたが、その中に出てきましたのが、西野さんは吉本興業とは何も揉(も)めることなく退団したのに、周りのメディアが何か揉めたに違いないと根掘り葉掘り聞いてきたというのです。
メディアは視聴者や読者の興味を引くように面白おかしくすることが普通になっていることに、我々メディア側も反省しなくてはいけないとも言っていました。そういうことが分かっているにもかかわらず、その同じ番組の中で、「森会長は差別者だ! 会長を辞任しろ!」という非難だけが横行していて、少し一方的ではないかと感じたことでした。つまりメディアの責任として、世論の形成とか拡散ということに関して十分な配慮をせねばならないと思うのです。

そのことを踏まえてみると、一方的に非難するだけではこの問題は収まりません。大事な一点は、森会長の差別意識に注目することではないでしょうか。つまりこれは森会長だけでなく、この差別意識はほとんどすべての私たちにあるという、この点をしっかり確認せねばなりません。先の報道番組では非難するだけで、ついに「差別」そのものにふれることはないままで番組は終わってしまいました。もっとも差別を内容的にとらえることは番組の目的ではなかったのかもしれません。

歎異抄第一章に弥陀の本願には老少善悪のひとをえらばれず。ただ信心を要とすとしるべし。そのゆえは、罪悪深重煩悩熾盛の衆生をたすけんがための願にてまします。 (意訳)阿弥陀如来の本願においては、老人も若者も、善人も悪人も、人をえらばれるということはありません。ただ、誰ひとり見捨てない阿弥陀仏のお心を、受け取れるかどうかが、肝心です。なぜならば、罪が深く極悪な、煩悩の炎が燃え盛る人間をたすけるための弥陀の本願だからです。

と示されています。弥陀の本願のもとでの平等(男女平等も含めて)がうたわれています。つまり差別に対して非難すべきは当然非難しなければなりません。
しかし、差別発言をした人も、非難した人もおしなべて「罪悪深重煩悩熾盛の衆生」の渦の中にいるのです。納得出来ないいでしょうか。
しかし、人間のすることなすこと(今の場合で言うなら、差別発言をした方も非難した方も)すべてが罪悪深重煩悩熾盛であると深く知らされることが、今回の事件はまたとない機会であり、せっかく番組からいただい大事なご縁であると真剣に取り組むべきことと思うのです。

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